ÇHOMEつねひこ旅情編キリバス編(医療ボランティア)

キリバス編(医療ボランティア)

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2010年 8月~9月 太平洋の島国・キリバス共和国まで医療ボランティアに行ってきました。

キリバス共和国とは

基本情報

  • 面積 730平方キロメートル(対馬とほぼ同じ)
  • 人口 96,557 (2008年)
  • 首都 タワラ
  • 民族 ミクロネシア系(98%)、その他ポリネシア及び欧州人
  • 言語 キリバス語、英語(共に公用語)
  • 宗教 キリスト教(主にカトリック、プロテスタント)
  • 主要産業 漁業、コプラの生産

地理・地勢

太平洋の赤道直下に位置し(オーストラリアとハワイのほぼ中間)、南北800㎞、東西3,200㎞にわたってひろがるギルバード諸島、ライン諸島及びフェニックス諸島からなり、ミクロネシアからポリネシアにまたがる350万平方キロメートルという世界第3位の排他的経済水域をもつ。世界で最も早く日付が変わる国であることでも知られる。

歴史

約2000年前西方からカヌーに乗ってやってきたミクロネシア系の人々が先住民であったとされる。 1916年にはイギリスの植民地となり、第二次世界大戦中の1941年に日本に占領され、1943年より日本とアメリカとの間に、ギルバート・マーシャル諸島の戦いといった激しい戦闘が行なわれた。 戦後はアメリカの統治下にあったが、1956~1962年、ライン諸島のクリスマス島がイギリス・アメリカ両国の核実験場とされた。 1978年にエリス諸島はツバルとして独立、そして1979年にキリバスが独立した。

政治

共和制を取り、国家元首はアンテ・トン大統領、議会は一院制で選挙により選ばれる42議員と非議員より任命される議長、職責としての司法長官、ラビ諸島評議会代表で構成され任期は4年となる。

Day1:8月30日 月曜日

15:30(←15:55から変更)発のコンチネンタル航空007便(CO007)で3時間半のフライト(夕食機内食)でグアムへ、いったんアメリカに入国します。
21:45(時差は日本と比べ+1h)発コンチネンタル航空948便(CO948)で6時間半のフライト(二回目の夕食機内食)の後、フィジー、Fiji(ナンディ、Nadi)へ。

Day 2:8月31日 火曜日

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6:10(時差は日本と比べ+3h)フィジー(ナンディ)着。いったん入国。
12:10 Air Pacific 231便(FJ231)でキリバス、Kiribati(タラワ、Tarawa)へ3時間のフライト。
15:10 タラワ着(時差は日本と比べ+3h)

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Immigrationでトラブルがあり、入国が大幅に遅れるものの、なんとか通関も無事終わり、在留日本人O氏(高校生で移住し、現在キリバス在住15年。帰化し日本国籍喪失の剛の者)の自宅の隣の民家へ!
お隣のO氏の自宅で夕食。
鶏肉、ロブスターなどを用いた中華料理、ずっと機内食が続いていたため、美味でした。
民家泊。

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暑くて寝られず・・・・徐々にファンの下に移動するも汗ぐっしょりで結局寝られず・・・

Day3: 9月1日 水曜日

5:00起床。
数ヶ月前に日本から送った手術機材などがまだキリバスに到着しておらず、タラワでの手術開始が遅れそうであったため、離島にOutreachに行くことにしました。ということで・・・

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7:00 Air
Kiribatiのプロペラ機でタプノースへ。約1時間半のフライトで到着。途中寄り道した島で、ヤカンのみを持ったお婆さんが搭乗しましたが、翌日患者さんだったことが判明しました。なぜヤカンのみを持ってこられたのでしょうか? 一路、宿泊先でもある病院へ。
なおこの病院は台湾の援助によって建設されました。

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クッキー、コーラなどで簡単な朝食の後、いざ診療(Outreach)開始!!!
11:00~11:30から外来を開始しました。
ちなみにキリバス時間といって、こちらの方々の時間の感覚は非常にアバウトです・・・
途中、昼食をはさんで17:00まで約50人の患者さんを診察いたしました。

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限られた機材で白内障手術を試みましたが、かなり困難で、何とか無事終了しましたが、手術は来年万全の態勢で、行うこととしました。

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左からタブノース市長、院長  右は小沢忠彦先生

昼食は、とれたての魚の刺身、づけ等など・・・

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夕食は、地元で英語名のWARO(ワロー、蝦蛄)と呼ばれる巨大シャコが出てきました。皆さん怯んでいましたが、美味しく頂きました。サイズは日本のモノの優に10倍はあるのではないでしょうか?

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地元の方々は日本人が何を食べるのか心配で色々趣向を凝らしてくれたようです。どれもこれも美味しかったのですが、麺(多分インスタント)を使用した料理はおいしかったです。
快適なロッジ(C4という区画)で睡眠です。虫はおらず、シーブリーズが最高です。

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参考:現地の言葉で
白内障=Tereaテレア
翼状編=Terikiテリキ

Day4: 9月2日 木曜日

今日は二診体制で診療開始です。

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8:00~10:00 約30人診察
10:00~10:30 休憩
10:30~12:00 約30人診察
12:00~13:00昼食
昼食はロブスター、チキン、焼きそばなどが出ました。

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13:00~15:00 約10人診察
病院のスタッフの計らいで15:00までに診療を終え、ビーチと以前島の中心であった病院に行きました。
ビーチは、それはそれは美しいものでした・・・ついでに後述するシーワームという生き物を看護師長とたくさん採りました・・・

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と同時に以前の病院の入院用病室にはややびっくりしました(笑)実際に病室の中に入ってみましたが、涼しくて快適です。

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部屋に戻った後、シーワームの一夜?干しとボワボワ(ココナッツで作った鬼まんじゅうのような物)というローカルフードをつまみにビールをさんざん飲んだ後、なんと22時ごろから、Farewell Partyを盛大に催してくれました。

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シーワームの一夜干し
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ボワボワ

院長はじめ病院スタッフ、そして市長(タプノースの人口は約3000人)など短い間の滞在にもかかわらず、多くの方々が別れを惜しんでくれました。
ちなみに、料理も豪華で、豚の丸焼き、巨大なロブスター、お馴染みの麺料理、そして採れたてのシーワームを炒めたものなど、本当に新鮮な素材を用いた本当の御馳走でした!!

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参考までに、夜、ロッジに面した海岸をランプで照らしながら歩くと、ロブスターが沢山います。それを捕獲して食用にしているようです。昨日の夜に海の方に灯りが見えましたが、本日の昼と夜出たものはきっとその時に採ってくれたものでしょう、感謝。

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Day5: 9月3日 金曜日

本日は名残惜しいタプノースを離れ、タラワへ向かいます。

相変わらずのキリバスtimeで8:30から予定されていた院長、看護師長らとのMeetingはもちろん事前予告なく10:00へ変更になりました。
それも、時間になっても誰も来ないので、ロッジのC4から散歩がてら救急外来に行ってみると特に仕事をしているように見えない院長(タラワではBabyと呼ばれる少し老けた38歳)からそのように告げられました・・・12:00に病院を出れば飛行機の時間には十分であるとの事なので、一抹の不安を覚えながら、昨日とは打って変わり、パンとコーンビーフを中心の朝食を頂きます。その時、この島での軽食として度々登場したスパゲッティのようなものの正体が判明。HEINZのチーズ風味スパゲッティで、トーストののせて食べるものらしい・・・確かに全く腰がないため、容易に噛み切れます(笑)

12:00より、来年以降のPROJECTに関して院長、看護師長、会計係、薬剤師と討論。
渡航時期、手術器具を含めた物品の管理・保管(特にさびないように)入国・医療器具の通関等に関して、かなり細かく打ち合わせた。

いざ、空港へ!
どうも、飛行機の出発時間は適当のようです・・・・
空港で、同行したALCON社の丸山氏が大量のシーワームの一夜干しを購入していました。

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どうやら気に入ったようです。

タラワ到着後、一応キリバス最高峰の国営オシンタイホテルへ。
簡素な造りですが、虫もおらず、水道、電気などライフラインの供給も良好です。

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*そんな中、朗報が!
キリバス到着当初、荷物を積んだ船の到着がさらに遅れ、我々の滞在に間に合わないことが危惧されていましたが、何とか間に合うとの報が件のO氏より届きました。

Day6: 9月4日 土曜日

9:00~外来開始。
白内障手術適応(今回は両眼白内障などで失明)の患者さんがかなりいます。
早速、本日午後5件、明日12件の手術予約が入ります。

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ところで何故か(体調管理には相当気をつけたはずが・・)朝より体調悪し・・・特に水様性の下痢は結局キリバスを離れるまで続くが、少しの時間睡眠をとることで概ね回復。
午後無事に手術用顕微鏡やフェイコマシーン等の手術機材が到着し、私も一件の手術に携わりました。

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夕食は病院の近くの中華料理屋、Paradiseでとりました。

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Day7: 9月5日 日曜日

9:00~外来開始。
朝一番で、昨日手術した患者さんたちを診察。
来院した際は、一人で歩けず、常に下を向いて、両手を先導する家族の両肩に乗せて、歩いていた男性が、自分で歩けるようになり、最後には走って家に帰っていった光景はただただ感動しました・・・

この様子は動画でご覧いただくことができます(8分57秒、サイズ108MB)。再生にあっては、Adobe Flash Playerが必要になります。ご利用のPC環境により再生に時間がかかったりご覧になれない場合がありますので予めご了承ください。

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また、動画はこちらからダウンロードすることもできます。
動画のサイズは約78MBあり、拡張子はwmv、再生に当たってはウィンドウズメディアプレーヤーが必要となります

台湾人Dr.に緑内障と診断されたという婦人が来院。
英語話せますか?と尋ねたところ”Very well”と言われました(笑)
緑内障という診断だけされて、疾患に関する説明が全くなされていなかったので丁寧に説明しました。外国に行った際に購入するから、今使用している薬の処方箋が欲しいとのことなので、チモプトールの処方箋を作成しましたが、アルコン社から寄付してもらったトラバタンがあったので、二本プレゼントしました。副作用の色素沈着と多毛について説明する際に、隣にいた男性(後から考えると運転手)が完全に禿げていたので、頭にかけると育毛するといったら笑っていた。
非常に品のある女性で、英語も流暢なため不審に思い、眼科ナースのアタアタに聞いたところ、大統領夫人とのことでした。
その後もお二人、国会議員が診察に来ました。

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12:30~いったんホテルへ、一張羅のドラゴンズ・アロハに身を包みます。
現時点でわが愛する中日ドラゴンズは大変好調です!!

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14:00~ キリバスで一緒になったキリバス名誉領事の岩谷氏と焼津の漁業会社の太神漁業株式会社様からお誘いいただいたTaijin No.18のレセプションに出席するため、ベシオ港へ。 レセプションの正式な名前は “Inauguration Ceremony and Reception in honor of the first voyage of the Taijin No.18 to Kiribati” です。

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16:30~レセプション開始。
資源大臣と日本側の代表のスピーチの後、志田泉の樽酒で鏡開き、大量の磯自慢が振る舞われました。
料理は豚の丸焼き3頭をはじめ、グロテスクな魚介類から鶏肉やエビなど食べやすいものまで、タラワでの滞在では最大の御馳走。
ナマズのような巨大な魚、ウミヘビ・ウツボのような物、そして件の蝦蛄の巨大なのも出現、食べてみましたが、タプノースで食べた物の方が美味しかったですね。

大統領及び大統領夫人、国会議長、閣僚の面々、今朝診察した国会議員(前副大統領だそうです)等来賓多数出席。皆さん日本酒が大好きなようで、磯自慢で泥酔です。ココナッツからつくる現地のお酒(コキュキィー、Kaokioki )も少し飲んでみました。さっぱりしていけます。

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大統領と焼津の銘酒「磯自慢」で乾杯

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左から大統領夫人、私、国会議長

大統領とは30分強、色々な話をしました。大統領夫人とも長い時間お話しし、ダンスもしました。彼女はフィジー生まれですが、父親はタプノース生まれです。クリスマス島のことをパラダイスだと言っていました。
宴もたけなわとなる中、何も食べずに大酒を呑んでいた(私も相当呑ませましたが・・・・)大統領は酔い潰れて帰宅。それに伴い、自然にお開きとなりました。

Day8: 9月6日 月曜日

本日は10時に国会議長とアポイントメントがあります。

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9:40にホテルを出発です。
議長室で30分ほどお話しした後、議場を案内してくれました。

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国会議長
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その後、議員食堂?で少し飲み物を頂きながら歓談しました。数人の議員とも色々な話をしました。

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ホテルで着替えた後、病院へ。
最後の外来診療を行いました。
後片付けの後、
20:00~保健大臣と中華料理屋さんにて会食です。保健大臣以下、保健省次官はじめ病院関係者を含め、多くは奥さん同伴での会食。
例のWARO(ワロー、巨大蝦蛄)も辛めの味付けで登場。大変楽しい会食でした。

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保健大臣

Day9: 9月7日 火曜日

本日は9時までにオシンタイホテルをチェックアウトし、後片付けと昨日手術した患者さんたちを診察した後、わずかの時間ですが、キリバス観光に出発、国会議事堂(今日は外観のみ)、最高裁判所、ニッポンコーズウェイ、旧日本軍の砲台等の定番からニッポンコーズウェイのお礼に名づけられたニッポン小学校、キリバスの刑務所などの変わり種まで、短い時間でしたが、非常に充実しておりました。

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中でも、艦砲射撃でボロボロになった旧日本軍の参謀本部をみた際には熱いものがこみ上げました。
実際の戦闘では、旧日本軍の予想とは逆側からアメリカ軍は上陸したため、設置してあった大砲は使用できず、米軍の強力な艦砲射撃の後、次々上陸する彼らと三日間の激闘の末敗れ、約4600人の守備兵は玉砕しました。
彼らの無念は筆舌に尽くしがたいものです。そして彼らの遺骨の9割は今なお、この島にあります。来年の概算要求の中で、硫黄島の遺骨収集や戦没者の慰霊を推進するための予算として16億計上しています。キリバスという国は日本人にあまり馴染みがなく、そこで4600人の同胞の尊い命が失われたことを知る人間は多くはないでしょう。彼らの遺骨になんとか祖国の地を踏ませたいと思いました。黙祷をささげ、かの地を去りました。

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帰り道のスーパーマーケットで、キリバスの国旗の付いたTシャツを購入しました。値段は一枚4.5豪$≒350円でした。

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さていよいよ16:10のフィジー、ナンディ行きのAir Pacificの飛行機(FJ230)でこの国にお別れです。
長いようで短い約10日間でした。
手術し、視力を回復した皆さんの無病息災を祈るとともに、今回手術できなかった方々のために、今後も色々な形で援助を続けていきたいと思いました。

(完)

謝辞

今回、キリバスで医療ボランティア活動をするにあたり、その中心となり、そしてまた、私に多大な力添えをして下さった小沢忠彦院長以下同行されたスタッフの皆さん、そして小沢眼科内科病院の全ての職員に衷心より御礼申し上げます。

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成田空港にて
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キリバスにて
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小沢忠彦院長先生
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木原真一先生
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西野由紀子様
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今泉亜矢様
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三倉知美様
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丸山一正様
日本アルコン(株)様

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小沢眼科内科病院は、古くから茨城県水戸市で代々医業を営んできた歴史ある病院です。

眼科医院の歴史としては明治42年(1909年)、現院長の5代前の小沢 昇氏が開祖であると考えられます。それ以来、長い間眼科の単科病院でしたが、平成6年糖尿病内科を併設し眼科内科病院となりました。

現在は、2001年9月開院の新病院と、3ヶ所の診療所からなり、常勤医師は17名、職員総数約200名います。 眼科と、内科(糖尿病)よりなる病院で、眼科手術を始めとする急性期医療から、糖尿病コントロール、糖尿病啓蒙活動、更には、 視覚障害者ロービジョントレーニング等、症状の安定した慢性期医療まで、幅広く対応しています。

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詳しくは http://www.kozawa-ganka.or.jp

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