~はじめに~
今回のテーマは、今後の我が国における医療過疎や医師の偏在等に起因する医療崩壊の問題をいかに解決していくか、医療の将来展望における新設医科大学(以下、新設医大)のあり方を論じようとするものです。
前回は、新たなテーマでの書き出しということもあり、医師である私がそもそも政治の世界を目指した理由について述べ、次に日本の医療が果たして欧米の医療に劣っているのか、データも交えて日本の医療は欧米よりも安価で優れていると説明して参りました。
今回は、日本と欧米の医師数、医師数と医療に対する満足度との関係、そして、かつて我が国が経験した医療崩壊の真相は何だったのか考察して参ります。
■ 医師数と医療に対する満足度との関係
まずは日本の医師数を考えていきたいと思います。現在の日本の医師数は30万3268人で、1990年は約20万人ですので、約1.5倍になっています。参考までに1990年は経済成長などを語る上で良く比較に出される年で、日本のGDPは当時と比べて約1.1倍と殆ど成長していません。それどころか平均年収は約425万円から約408万円に減少しています。これは産業の空洞化と生産年齢人口が減った事に依る部分が大きい訳ですが、当時の与党・政権が高度成長に胡坐をかき、社会保障を中心とした国家戦略を誤ったとの誹りを免れるのは難しいと思います。話を戻します、医師数は米国と較べても又、他のOECD諸国と較べても明らかに少ないのは間違いありません。2006年のデータでは人口1000人当たりの医師数はOECD諸国3.3人に対し、2人となっています。但し、必要な医師数はその国の文化、人口構成、疾患構成、医療制度で異なってきます。日本のベッド数はOECD諸国の2ないし3倍多く、在院日数も4倍長く、外来訪問回数も数倍高くなっており、1ベッドを取り巻く医療従事者の数は欧米の4分の1、5分の1です。
医療は国民が満足するものでなくてはなりませんが、日本におけるアンケ
ート調査によると、国民の医療に対する満足度は欧米諸国に較べて低くなっ
ています。何時でも・何処でも・誰でも医療にアクセスできる日本の制度は
他の諸国から見ると大変素晴らしいものに映るらしく、OECD諸国から憧憬の眼差しで見られており、WHOも高く評価しています。それにも関わらず日本国民の医療に対する満足度が低いのはなぜでしょうか。
前述のように医療レベルは欧米と較べて遜色はありません。しかしながら、外来の長い待ち時間、医療内容の説明不足、患者さん側の自己責任の自覚がない事、そして医療の不確実性と人間は何時か死ぬという事に対する認識がない事が不満につながっていると考えられています。
2008年度時点でGDPの約7%である約34兆円の医療費(同年度、米国はGDPの約14%。2011年度日本9.6%、米国17.7%まで上昇。)で世界一の長寿の達成及び世界一低い乳児死亡率を見ると、日本の医療は非常に効率がよく運営されている事になりますが、これも医師の過剰労働、患者さん側の忍耐で成立しています。しばしばパチンコ産業とほぼ同額といわれる約35兆円が日本の医療費として妥当なのかどうかは、国全体の方向性として政治家がしっかり決めて行かなければなりません。現在の日本の医療は医療従事者の自己犠牲による献身的な働きにより成り立っています。 一つの目安としてOECD諸国の医師が一人の患者にかける時間は平均30分で日本では平均6分です。日本の医師はOECD諸国の医師より5倍の数の患者を診ている事になります。
■ 我が国が医師不足による医療崩壊を招いた真相
ただ単に医師を増やせば、医師不足は解消されるのでしょうか。前項で述
べた様に日本の医師数は30万3268人で、1990年は約20万人ですので、約1.5倍になっています。この数字は自衛隊の隊員数(現員22万6742人、定員24万7160人)とよく比較をされます。まずは医学部の定員に関して考察しましょう。医学部は全国に80ありますが、各国・公・私立大学医学部の一学年分の定員の合計は1982年に8,280人でピークとなりましたが、厚生省の医師需給見通しに基づいて定員削減が閣議決定され減少しました。さらに1997年にも削減が閣議決定され、2007年には7,625人まで減少しました。
しかし、予見可能であった勤務医不足や医師の地域的・診療科的偏在の深刻化に加え、人口構成や疾病構造の変化および医療の高度化によって医師の需要は増大しました。そのため、慌てて2008年度入試で定員を7,793人に増員し、2009年は民主党政権下で過去最高の8,486人に増員されました。その後も毎年各大学の要請によって適正な増員がなされ、2015年度入試における定員は9,134人となっています
では、なぜ当時の政府・与党自民党は社会保障の中核である医療のグランドデザインを誤ったのでしょうか。当時、具体的なデータに基づくことなく、医師出身の医系議員が国会で医師過剰論を唱えていましたが、実は医師過剰を懸念し、医師数抑制を提起したのは厚生省ではなく、1981年に発足し、鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」を達成すべく、行財政改革についての審議を行っていた第二次臨時行政調査会でした。1982年7月にまとめた「行政改革に関する第3次答申-基本答申-」の中で、「社会保障」の「医療費適正化と医療保険制度の合理化等」の項の「医療供給の合理化」の2番目に「医療従事者について、将来の需給バランスを見通しつつ、適切な養成に努める。特に、医師については過剰を招かないよう合理的な医師養成計画を樹立する」と提言しました。これを受けた政府は同年9月の閣議で医師・歯科医師の養成計画について検討すると決定し、結果として医師抑制策が政府の決定となりました。当時、多くのマスコミも疑問を投じることなく、盛んに医師過剰を報道しました。しかし、これらは1948年の医師数算定法に定められた標準医師数が根拠であり、1980年代の医療現場の実情に基づくものではありませんでした。当時の日本の対人口医師数は既にOECD諸国の平均より低く、前述のようにその後も他の先進国との差は広がっています。それでも医師と医療従事者は国民の健康と命を守るべく力を尽くしてきましたが、過度の医療費削減を伴った小泉改革によってついに医療崩壊が起こりました。
~次回に向けて~
次号では医学部の定員について、前述のように7793人から9134人まで定員が増加している中、更に一校あたり100億円と言われる血税を投じて定員が約100人の新設医大を創立するメリットはあるのか、日本の医療供給体制の課題とその解決策を提示し、新設医大の現状と課題まで踏み込んで考察します。
(次回に続く)
吉田統彦拝